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板橋には、かつて「板橋宿」という中山道第一宿場町がありました。ちょうど江戸の西の玄関口にあたる中山道の起点だった「板橋宿」は、東海道の品川、甲州街道の内藤新宿、奥州街道の千住と並ぶ江戸四宿のひとつとして賑わいを見せていました。その中山道から分岐した旧川越街道と千川上水が交差する場所にあたる大山周辺は、川越方面への物産を運ぶ馬や人々が行き交う道筋として、当時から重要な役割を果たしていたと言われています。 ※出展:「江戸四宿を歩く(街と暮らし社)」等 |
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●地名の由来となった石神井川に架かる橋「板橋」
「板橋」という地名は、旧中山道が石神井川を横切る地点に架かっていた木の橋を“板橋”と呼んだことに由来するといわれており、「江戸名所図絵」にも、その姿が描かれています。そんな「板橋」はその後何度か架け直され、現在の橋は昭和47年の石神井川改修工事の際に架けられたものです。欄干(らんかん)に施された木目模様が往時をしのばせます。 ※出展:「江戸四宿を歩く(街と暮らし社)」等 |
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古くから人馬による物流拠点であった大山周辺は近代に入っても鉄道がなかなか開通しませんでした。明治18年に品川〜赤羽間に山手線(当時)の板橋駅が開業しましたが、利用するにはかなりの距離がありました。その後大正3年、東上鉄道株式会社が創業し、池袋と川越を結ぶ鉄道が誕生。そしてついに昭和6年待望の「大山」駅は開業しました。当時は1日750人足らずが利用する程度でしたが、今では約25,000人が通勤・通学に利用しています。 ※出展:東武鉄道(株)ホームページ等 |
※掲載の写真は平成22年7月撮影 |
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