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シティハウス文京茗荷谷レジデンス

丸の内線「新大塚」駅周辺のご紹介

2020年09月21日(月)

周辺環境

朝晩などは肌寒く感じられるほど気温も下がり、秋の気配が日を追うごとに色濃くなってゆく季節となりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。今回のブログは「シティハウス文京茗荷谷レジデンス」から徒歩11分の丸の内線「新大塚」駅周辺をご紹介させて頂きたく思います。

当社撮影・丸の内線「新大塚」駅の出入口(春日通り大塚5丁目交差点付近)

実はこの「新大塚」駅の辺りに山手線の「大塚」駅ができる予定だったという話をネットで検索で読んだことがあります。山手線の始まりは日本の文明開化期に私鉄の日本鉄道が横浜港と関東地方内陸部各地(埼玉県、群馬県、栃木県)さらに東北地方及び北陸地方を結ぶ貨物路線として建設され、品川から赤羽を結ぶ鉄道路線が最初です。その後、同じ日本鉄道が現在の常磐線方面と横浜港方面の接続を目的として建設した「池袋駅-田端駅間(当初は豊島線と呼称)」を加え、現在の山手線の原型が完成しました。池袋-田端間を敷設した際に、当初は目白駅で豊島線を分岐させる計画があったと言います。ただその当時でも目白駅付近は現在と同様に山手線が切り通しの中を走っており、そこから学習院方面に向けて豊島線を分岐させるとなると同じように切り通しにするか、或いはトンネルを掘らなければならず、莫大な工事費用がかかる事となり、またこのルートでは分岐後のルート上に「巣鴨刑務所」があった関係もあり、地形が平坦で工事費用がかからない池袋に信号所を作り、そこから豊島線を分岐させることとなりました。当初の計画では目白で山手線を分岐させた後の最初の駅の駅名を「大塚」と決めていたので、現在の「大塚」駅ができたとのことです。山手線の路線図を見ると池袋駅で直角に近い角度で曲がっています。目白駅と駒込駅を真っすぐに結んだラインが元々の「山手線」の計画路線だったようです。文京区には山手線の駅がないことをご存じない方もおられるかと思いますが、もしかしたら文京区にも山手線の駅があったかもしれませんね。

当社撮影・大塚公園入口

上の画像は大塚公園の入り口です。大塚公園と隣接する都立大塚病院は江戸時代は松平土佐守のお屋敷があった場所です。大塚公園はラジオ体操発祥の地と言われております。

当社撮影・大塚公園ラジオ体操発祥の地の看板

大塚公園の緑の中を抜けてゆくと、そこには文京区立の「みどりの図書館」があります。洋館風の造りで落ち着いた雰囲気の良い図書館です。

当社撮影・大塚公園内にある緑の図書館

当社撮影・大塚公園隣接の都立大塚病院(救急指定)

丸の内線「新大塚」駅の出入り口を出て、少し北に向かって歩いてゆくと、そうですね約50mくらい進んだところでもう「シティハウス文京茗荷谷レジデンス」から徒歩5分程の立地にある「スーパー・ライフ」の看板が見えてきます。「新大塚」駅からライフまで意外と近く徒歩で5分位の距離感です。帰宅前に「茗荷谷」駅前にある「スーパーの三徳」でお買い物をして重い荷物を下げて10分程歩くことを考えると、「新大塚」駅で丸の内線を降りて、徒歩5分で「スーパーライフ」に立ち寄り、5分で「シティハウス文京茗荷谷レジデンス」に帰宅という方が重い荷物を長い間持ち歩く時間が短くなるので、その方が得策かなとも思います。

当社撮影・新大塚駅からスーパーのライフを望む道路

シティハウス文京茗荷谷レジデンスの周辺は江戸時代には多くの武家屋敷があり、明治以降その武家屋敷の跡地が筑波大学(旧・東京師範学校)、お茶の水女子大学、跡見女子大学や緑豊かな公園(小石川植物園や教育の森公園、大塚公園)や大学等となった事で、その住環境や教育環境が形づくられてきました。是非「シティハウス文京茗荷谷レジデンス」をご見学にお越し下さいませ。

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